大阪、京都、そして滋賀三日間の旅 その1
珍しく一切予約を受けずに3日間の休暇を取って京都に出かけたのには、ある友人の死がきっかけでした。
彼は、偏屈な割りには誰からも愛されるミュージシャンで、その日も2つのライブを掛け持って楽しく演奏をしたのだそうです。最初のライブですでにもうすっかり出来上がっていたというから、どれほど飲んだのでしょうか?
日頃、周りの人間も滅多には彼が酔っ払う姿を見たことがなく、静かにご機嫌でいつまでもロックを飲んでいるような人でした。よほど楽しかったのでしょう。
二件目でも随分ときこしめし、店を出たところで、今度は私も知っている友人と出くわして、さらに飲みに行ったのだそうです。
脳血管障害を抱えていたことを知っている人間は、皆、それが原因だと思いました。
が、彼はご機嫌で酔っ払ったまま、古い駅の階段を滑り落ち、頭を打って、意識不明のまま逝ってしまいました。
なんと幸せな死に方でしょうか?彼らしいといえば彼らしい、望んでもないような天晴れな死に方。残された私たちは途方にくれるばかりでした。
明日何が起こるかわからない。何1つ確かなものなどありはしないと、心に刻みつけたところで舞い込んできたのが、幼馴染からのご招待のリーフレットでした。京都造形大学の教授と昨年結婚したばかりの彼女は、自らも長いこと絵を書いている人で、昨年2ヶ月滞在したフィレンツェのスケッチを展示した、ご主人との二人展。
春の京都に行く機会など、この先あるかどうか、、、ましてや明日もしれない私たち。会いたい人にはあっておこうと思いました。
彼女と初めて出会ったのは小学5年の夏。一学期がもう終わるかという頃。山深い里のそれにしては規模の大きな小学校に私が転校した時でした。小学生とは思えないすらりと発達した肢体。聡明で落ち着き払った仕草。他の生徒とは全くの異彩を放っている人でした。
それから50年。こうやってまた再び出会い、人生がまた開けるように思えることを、全ての事象に感謝します。
- 2019.04.11 Thursday
- 家族・友人・日常
- 12:47
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- by タマリ